2015/06/08か行
小学生を主な対象とした貯金には、明治30年代に始まった「切手貯金」がありました。学校貯金、学童貯金という名称でも広まり、郵便貯金を奨励した小学校もあったようです。 戦後の「こども郵便局」については、『郵便貯金のあゆみ』(山口修著,郵便貯金振興会,3387/3/77)によると、昭和23年1月、大阪市の南大江小学...
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2015/06/08か行
徳川家が江戸鎮護のために不動尊を五箇所に置いたのがはじめで、庶民の信仰を集めたといいます。五色不動の現在の安置場所は、「目黒不動」が目黒区下目黒3丁目の滝泉(リュウセン)寺、「目白不動」が豊島区高田2丁目の金乗(コンジョウ)院、「目赤不動」が文京区本駒込1丁目の南谷(ナンコク)寺、「目青不動」が世田...
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2015/06/08か行
かわら版は、江戸時代から明治にかけて出版された庶民向けの情報印刷物です。 「かわら版」という呼称は幕末になってからで、読売や摺物と呼ばれることが多かったようです。幕府の出版統制に反して、時事的な情報を即時に人々に提供したもので、製作者が記載されていない場合が多く、大火、外国船の来航、大地震などの...
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2015/06/08か行
「一般的な」東京の門松という言い方はできますが、「正しい」という判断は難しいでしょう。 江戸に遡って『守貞謾稿』をみると、武家の屋敷や大店の飾りには竹の添え木はないものが多く、上部を斜め切りにした竹を添え木とした松飾りは、医師などに多い飾り方としています(参考資料【資料1】~【資料3】)。 現在...
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2015/06/08か行
『堂々日本史10』(KTC中央出版,2100/619/10) 『元禄繚乱展』(NHK,M3624/TO-3/117)図録140pの「吉良邸絵図面写」によると、東西南が長屋で囲まれており、空いていたのは北側ということになります。『図説忠臣蔵』(西山松之助監修,河出書房新社,2105/979 /98)34p「改撰江戸大絵図」(元禄15年版)を見ると吉良邸...
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2015/06/08か行
「バブルの末期から”一両は今の十万円”という比較が親しみを込めて説明されています」が、「一両は何万と想定することは無理」(【資料1】『お旗本の家庭事情と暮らしの知恵』)と言えます。なぜなら、現代と当時とでは社会状況が全く異なるためです。つまり、江戸時代の貨幣価値を現代に置き換えるのは不可能とお答えす...
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2015/06/08か行
五月五日は「こどもの日」という言い方が今日では一般的なようです。しかし、『三省堂年中行事事典』(三省堂・3861/115/99)に「昭和二十三(一九四八)年以来この日がこどもの日として国民の祝日の一つに定められ」とあるように、古くからこう言われていたわけではありません。 五節句のひとつとしての「端午(たん...
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2015/06/08か行
1月11日、正月の行事として鏡開きがあります。これについて調べてみると、まず鏡開き・鏡餅というの名の由来ですが、『日本民俗事典』(3803/17/83)には鏡と同じ円盤状の形状からきているとあり、『日本を知る事典』(3821/8/89)には女は鏡台に餅を供えたことからきているとあります。 なぜ11日に行うのかということ...
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2015/06/08か行
元禄15年(1702)12月15日に起きた赤穂浪士討ち入り事件の舞台となった吉良邸跡は、その一部が、墨田区立松坂町公園となっています。(備考※1) また、吉良邸絵図面は、『赤穂義士史料』中巻(中央義士会編 雄山閣 1999年)、『元禄繚乱展』(元禄繚乱展図録編集委員会編集 NHK,NHKプロモーション 1999年)図録でご...
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2015/03/05か行
『江馬務著作集 第七巻 一生の典礼』(【資料1】)に、七五三で祝いの袴をつける袴着(はかまぎ)の作法で、幼児を碁盤の上に吉方を向いて立たせる、とあります。『イラストでみる日本史博物館 第2巻 服飾・生活編』(【資料2】)には、「小笠原諸礼大全」を参考にして描かれた、袴着の際に碁盤に立つ幼児の挿絵が掲載さ...
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