吉良上野介邸は、三方を長屋で囲まれていたと聞いたが、開いていた一方は、誰かの屋敷に接していたのか?(2002年)

2015/06/08

参考資料【資料1】『元禄繚乱展』の「吉良邸絵図面写」によると、東西南が長屋で囲まれており、空いていたのは北側ということになります。【資料3】『図説忠臣蔵』所収「改撰江戸大絵図」(元禄15年版)を見ると吉良邸の隣家には本多孫太郎、土屋主税両家があることがわかります。詳しくは参考資料をご参照ください。

(参考資料)

【資料1】『元禄繚乱展』元禄繚乱展図録編集委員会/編集 NHK,NHKプロモーション 1999年 M3624/TO-003/0228 -S00 140p
【資料2】『堂々日本史』 第10巻 NHK取材班/編 KTC中央出版 1997年 2100/0619/0010 182-183p (【資料1】と同じ図面あり。)
【資料3】『図説忠臣蔵』西山松之助/監修 河出書房新社 1998年 2105/0979/0098 34p

 

(関連事例)

「吉良邸の現在の場所が知りたい。また討ち入り当時の吉良邸の絵図面は残っているのか。」  http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000013856window open

 

(レファレンス協同データベース版)http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000048892window open