レファレンス事例集五十音順別

2019/07/19ら行

鹿鳴館はいつ開館し、いつ無くなったのか。現在、跡地はどうなっているか。(2019年)

(回答) 『復元鹿鳴館・ニコライ堂・第一国立銀行 江戸東京博物館常設展示東京ゾーン「文明開化東京」』(【資料1】)によると、明治16年(1883)11月29日に開館。明治23年(1890)には宮内省に移管され、一部が華族会館となった。明治27年(1894)6月の地震での被災が契機となり華族会館に払い下げられて昭和2年(1927...

2019/02/28ら行

鹿鳴館の名前の由来を調べるには?(2018年)

(回答) 【資料1】~【資料3】(『江戸東京学事典』、『東京百年史 第2巻 首都東京の成立(明治前期)』、『鹿鳴館を創った男 お雇い建築家ジョサイア・コンドルの生涯』)より、中国最古の詩集『詩経』のうち“小雅”の一章、“鹿鳴”に由来する。由来となった詩は【資料5】(『漢詩体系 第2巻 詩経 下』)で見ることがで...

2016/02/03ら行

東京都港区六本木の地名は「××木」という武士が六人住んでいたからというのは本当か。(2015年)

 一般的に諸説伝えられる古い地名の由来は、どの説が正しいと断定するのは難しいといえます。この場合も(1)「木」と付く名前の武家屋敷があった(2)大木が六本あった(3)江戸六方の男達(おとこだて)が住んでいた等の説があります。   (回答プロセス) 【資料1】『江戸・町づくし稿』中巻によると、古木の松が六本あっ...

2015/06/08ら行

鹿鳴館の図面は残っているのか。(2014年)

設計者のジョサイア・コンドルが書いた図面は現在行方不明となっています。現在私たちが見られるのは推定図と、竣工後書かれた略図となっています。 (回答プロセス) 【資料1】『復元鹿鳴館・ニコライ堂・第一国立銀行 江戸東京博物館常設展示東京ゾーン「文明開化東京」』によると、p.13「コンドルの書いた鹿鳴館の図...

2015/06/08ら行

江戸時代に、旅行のガイドブックはあったか。(2003年)

 旅行のガイドブックにあたるものとしては、道中記や細見記があります。その形式や内容は、時代、編者によっても異なりますが、宿場間の距離や旅籠賃、人足賃、馬賃、名所や茶店、土産物などが記されています。 また、道中記と並んで紀行文や各地の名所図会も出版されました。有名な弥次喜多道中にも窺えるように、江戸...

2015/06/08ら行

浅草にあった凌雲閣(浅草十二階)という建物について教えてほしい。(2000年)

 凌雲閣は明治23年築、通称(浅草)十二階とよばれ、10階までは総煉瓦造り、11・12階は木造の楼閣でした。8階までにはわが国初のエレベーターが設置され(2年で廃止)、上階には望遠鏡が備え付けられ、四方眺望が楽しめたといいます。当館常設展示室「市民文化と娯楽」コーナーで1/10模型をご覧戴けます。( https://...