2021/12/09は行
『江戸の火事と火消』【資料1】によると、そもそも江戸における消防組織は大きく「幕府直轄の定火消、大名火消、それに江戸の町火消」の三系統があり、これらは「指揮系統が異なって」おり、また「出火にあたって各系統の火消の分担は定められて」いたとあります。 そのうち町火消は、同書によると、「明暦大火後」にで...
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2019/07/19は行
(回答) 消火方法としていつからあったかは不明だが「バケツリレー」という言葉は和製英語。『東京新聞』昭和12年(1937)6月16日(夕刊)、『朝日新聞』昭和12年(1937)6月16日(東京/夕刊)によると品川区芳水小学校の防空演習を伝える記事に「バケツ・リレーの消火作業」とあるので、少なくとも昭和12年(1937)頃には...
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2017/11/15は行
(回答) まず【資料1】『江戸東京学事典』を確認したところ、評判娘の項に「寛政の三美人とは、浅草随身門脇難波屋おきた、両国米沢町高島屋おひさ、芝神明前菊本のおはんの三人」とある。そこに参考文献として挙げられている【資料2】『繪本水茶屋風俗考』を確認すると『武江年表』(正編巻之七 斎藤月岑/著)を基に...
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2017/06/29は行
【資料1】『東京の橋 水辺の都市景観』によると、「明治期竣工の橋のうち、移築されずに当初の場所で昔と同じ姿で、現役の道路橋として活躍しているのは日本橋だけとなる」、つまり明治44(1911)年に現在の形になった日本橋ということになります。しかし、車両が通らない橋も含むと、明治10(1877)年の常磐橋、明治11(18...
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2016/09/23は行
(回答) (1)和紙を漉く(2)こんにゃく糊で張り合せ原紙をつくる(3)なめし処理をする(4)裁断してパネルにする(5)パネルをこんにゃく糊でつなぎ合わせ球体にする(6)口管と座帯を取り付ける(7)空気を入れて膨らませる(8)ラッカーを塗り補強する(9)たたんで円筒形に整え発送する。以上がおおまかな作業工程です。 (回答プロ...
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2015/08/19は行
かつては本姓の「安藤」と画号の「広重」を併用した「安藤広重」と表記されることがありましたが、現在は「歌川広重」と表記されることが多いようです。 (回答プロセス) 【資料1】『もっと知りたい歌川広重 生涯と作品』によると「少々前までは安藤広重と言う呼び名が一般的であったこの絵師、ただし存命中の本人は...
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2015/06/08は行
明確な年代は不明です。江戸中~後期頃には福笑いの原型といえるものが存在したと考えられますが、正月の遊びとして定着したのは明治以降のようです。 (回答プロセス) 【資料1】『童遊文化史 考現に基づく考証的研究 第4巻』【資料2】『おもちゃ博物館 6 双六・福笑い』によると、江戸後期から行われていたことが推...
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2015/06/08は行
【資料1】『図説歴史で読み解く東京の地理』、東京にある富士塚の分布図がある。(【資料4】『東京路上博物誌』の図を元にしている。) 【資料2】『図表でみる江戸・東京の世界』、江戸時代・明治以降に築造された富士塚と壊された富士塚の分布図がある。 【資料3】『江戸東京富士塚めぐり 富士塚のある社寺歴訪』、巻...
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2015/06/08は行
いろは47文字の「へ、ら、ひ」が使われず、代わりに「百、千、万」が使われました。のちに「本」が加わりいろは48組となりました。 (回答プロセス) 【資料1】『江戸の火事と火消』によると、語呂の悪い「へ、ら、ひ」の三つを除いてその代わりに「百、千、万、本」を入れて四十八組とした。 【資料2】『江戸三火消図鑑...
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2015/06/08は行
以下のように諸説あります。【資料1】『日本国語大辞典』第16巻によると、「初めは観客が贔屓の俳優に花(祝儀)を送るために設けられたものであった」「平安時代、相撲節会に出場した力士が左方が葵、右方が夕顔の造花をつけて入場したという故事による」。【資料2】『歌舞伎のことば』によると、「花道は、その起源も...
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2015/06/08は行
「あった」とは断定できない。大正時代に発行された【資料1】「こしかたばなし(2)」によると、文久年間江戸に暮らした老人から筆者が聴いた懐古談として、二百四十八文で店から褌を買い、汚れたら六十文添えて持っていくと、洗濯済みの代わりの褌を渡してくれる店があったと記している。これを褌の洗濯屋と取るか、褌を...
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2015/06/08は行
ハチの生前に銅像が建てられるまでに至ったいきさつや、主人亡き後のハチの暮らしぶり、時代背景がよくわかるものに、『東京人 no.269(2009.7)』(都市出版)に掲載されている「秋田犬ハチが忠犬ハチ公になるまで。」、『歴史読本 第32巻第16号(1987.8特別増刊)』がある。 生前のハチを実際目にしている筆者たちが、銅...
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2015/06/08は行
『舶来事物起原事典』(富田仁・名著普及会・0314/1/89)によれば、パンという言葉はポルトガル語に由来する、すなわちパンが日本に渡来したのはポルトガル船の来航した天文年間(1537~55)とあります。が、ものと人間の文化史80『パン』(安達巌・法政大学出版局・ 3838/104/96)には、パンは西アジアのメソポタミアで...
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2015/06/08は行
江戸時代の大名は、いくつかの例外を除き、参勤交代のために江戸と国元を往来しました。『藩史大事典』からも、江戸と国元の両方に菩提寺を構える例が多くみられます。 葬地について『探訪・江戸大名旗本の墓』では、「(大名の)多くは生国や国元の菩提寺に葬られた。しかし、江戸で死去した場合、江戸に寺を求めて菩...
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2015/06/08は行
2月14日は、『日本キリスト教歴史大事典』(教文館,1988年,1903/1/88)『大衆文化事典』(弘文堂,1991年,3615/1/91)によれば、イタリア人司教ヴァレンティヌス(Valentinus)がローマ皇帝の発した遠征兵士の結婚禁止令に反対したことで、269年頃に処刑された殉教記念日ということです。中世ヨーロッパでは愛の守護聖人と...
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2015/06/08は行
引札は、江戸から明治・大正期に商店などが開店・売出しの披露や商品広告のために配ったちらしのことで、その配布方法には、特定のお得意に限る、町内各戸へ、通行人に配るなど、商売の業種や店の規模によってさまざまな形態がありました。 『引札繪ビラ風俗史』(増田太次郎著,青蛙房1981)には、「街頭配布」「戸別...
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2015/06/08は行
享保18年(1733)5月28日(旧暦)、両国の川開きのときに鍵屋(かぎや)によってはじめられたといいます。『花火/下町/隅田川』(隅田川花火大会実行委員会・1983年・請求記号C3624/5759/1)所収の年表には「一晩に上げた花火の数は、仕掛、打上あわせて20発内外といわれる」とあり、本...
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2015/06/08は行
初夢をいつ見る夢とするかは一様ではありません。室町以降、京阪地方では節分から立春の明け方の夢をいったのに対し、江戸では古くは大晦日の夢を指したようです。一方、年越しの夜は寝ない習慣があることから、天明頃より元日から2日の朝の夢となり、その後、2日の夜に見る夢を初夢とするのが一般的になってきたと...
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2015/06/08は行
作者や作品名からではなく、描かれているテーマから作品を探したい場合は、まずはそのテーマに沿った本を見てみると良いでしょう。『両国の花火250周年記念誌花火/下町/隅田川』(C3624/5759/1)、『図説浮世絵に見る江戸の歳時記』(佐藤要人・藤原千恵子,河出書房新社,7218/349/97)の皐月28日の川開きについて、...
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2015/06/08は行
「べらんめぇ」とは「べらぼうめ」がくずれた言い方で、人を罵るときに使いますが、”べらぼう”は江戸時代に見世物で人気を博した奇人の名前”便乱坊(可坊)”が語源であるといいます(備考※2参照)。 また、『江戸ことば・東京ことば』(教育出版・1980年)によれば、”べらぼう”は穀物を潰す”へら棒”が語源で、「穀潰し(...
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