2015/06/08
広重の連作である「名所江戸百景」の中の1点「虎の門あふひ坂」に描かれている滝のことではないかと思われます。
(回答プロセス)
この作品は【資料1】『浮世絵大系 17 名所江戸百景 2広重画 』【資料2】『広重名所江戸百景』などに掲載されているものを当図書室にてご覧いただけます。
葵坂(あふひ坂)とは【資料3】『角川日本地名大辞典 13 東京都』によると、明治期まで、現在の港区虎ノ門2丁目(もとの赤坂葵町)にあった坂であり、このことは江戸時代の絵図と現代東京の地図を重ね合わせた【資料4】『復元・江戸情報地図』でも確認できます。【資料5】『江戸の坂東京の坂』【資料6】『江戸百景今昔 江戸を楽しみ、大正を知り、現代を歩く 』によると、現在は埋立てによって坂道、溜池、滝などの面影は残っていませんが、江戸時代には溜池の堰があり、池の水が滝となって流れ落ちていたようです。【資料7】『赤坂区史』には「どんどん」と呼ばれていたという記述を見つけることもできます。
(参考資料)
【資料1】『浮世絵大系 17 名所江戸百景 2広重画 』集英社 1976年 7218/L12/17-S0
【資料2】『広重名所江戸百景』ヘンリー・スミス著 生活史研究所監訳 岩波書店 1992年 7218/L22/92
【資料3】『角川日本地名大辞典 13 東京都』角川書店 1997年 2910/2/14-S0
【資料4】『復元・江戸情報地図』朝日新聞社 1994年 2913/L733/94
【資料5】『江戸の坂東京の坂』横関英一著 有峰書店 1970年 2913/224/1 (p.204~ さびれた今の葵坂: 江戸初期の溜池は、・・・特許局、東京クラブ前辺が、この池の南端に当たり、池尻とでも言いたいところで、ここが堰になっていたので、池の水が滝となって流れ落ちていた。)
【資料6】『江戸百景今昔 江戸を楽しみ、大正を知り、現代を歩く 』大野光政著 本の泉社 2009年 2913/L1114/009 (p.60~ 虎の門あふひ坂: 葵坂は、溜池の水が、狭まって瀧となり、虎の門の方へ流れ落つる其堀ばたより、琴平町の方へ向いて下る坂で、・・・・)
【資料7】『赤坂区史』東京市赤坂区役所編纂 東京市赤坂区 1941年 C3635/2136/4 (p.1334~ 葵町: 尚、溜池址湟埋築の結果、・・・・埋築前は此地點が恰度溜池の水の落ち口に當り、堰の形を成してゐて、俗稱どんどんと稱ばれてゐた。)
(備考)
デジタルアーカイブス(江戸東京博物館収蔵品検索) https://www.edohakuarchives.jp/detail-1783.html (2021/10/11確認)
港区ゆかりの人物データベース(港区立図書館) http://www.lib.city.minato.tokyo.jp/yukari/j/ukiyoe-detail.cgi?id=11 (2014/4/28確認)
錦絵でたのしむ江戸の名所(国立国会図書館) http://www.ndl.go.jp/landmarks/details/detail129.html (2014/4/28確認)
(レファレンス協同データベース版)
http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000152793